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【開催報告】第30回「優しさと思いやり」

【第30回鹿児島哲学カフェ】

日時:2013年12月28日(土) 19:00~21:00
人数:15名(男性9名,女性6名,初参加4名)
場所:Tenon
テーマ:優しさと思いやり

皆様、あけましておめでとうございます。
早いもので1月も中旬となりました。新しい年をいかがお過ごしでしょうか^^

鹿児島哲学カフェは、上記の通り通常開催第30回目、通算36回目の開催をさせていただきました。師走も師走、年の瀬のお忙しい中に沢山の皆様にご参加いただきましたこと、まず感謝申し上げます。
2013年も本当にありがとうございました。本年もどうかよろしくお願い致します。

今回は西日本新聞社の塚﨑謙太郎記者が、遠路福岡から取材に来てくださいました。そのためカメラが入っての時間になったのですが、そこは流石塚﨑さん、カフェの時間に寄り添って違和感なく溶け込んでくださいました。素敵な取材をしてくださいまして本当にありがとうございました。後日、記事に関しては詳細をUPさせていただきます。
・ ・ ・ ・ ・
この日の出来事です。
よく参加してくださるTさんが、「はい、差し入れ^^」と、チョコを持ってきてくださいました。
私たちはとても嬉しく受け取って、皆で分け合い美味しくいただきました。

さて、これは「優しさ」なのでしょうか。それとも「思いやり」なのでしょうか。

マウスの実験等から、科学的に「優しさ」は「先天的」であるという説が出てきました。マウスのつがいには、自発的に相手を助けようとする行為が見られるそうです。
では、「思いやり」は?

「自分の子に、思いやりがあると思われたい、とは思わないですね」と、ある参加者さん。また、「思いやりのある上司」というものも、ほとんどいないです、とも。
だとするならば、思いやりの構造は上意下達ではなく、また「自然」なものというより「恣意的」であるといえそうですが、どうなのでしょうか。

優しさにも思いやりにも、送り手と受け手が存在します。
いずれにしても介入しきれないのは「相手がどう思うか」という点。「こういう風に思ってもらうためにはこういうことをすればよい」というようなスキルが世の中に存在することは承知していますが、それでもその全てを操作することはできません。「相手がその行為を、優しさor思いやりであると理解してはじめて、それは優しさor思いやりとなる」とも言えそうですが、それもまた、必ずしもそうではありません。

シンパシー(“sympathy”)とエンパシー(“empathy”)の話題も。
たとえば演劇的に・・・「その役になりきる」(相手のことを理解できる)という立場が前者。「なりきるには難しいけれど、想像するならばこの役はこうであるに違いない」(相手のことは理解できない)という立場が後者。この場合、相手との境界線がある/ない、という部分もポイントかもしれません。
そう、これもまた、どちらが正しいかは決められません。

そもそも優しさも思いやりも分類する必要はない、分類するから違和感がある、要はどちらも「愛」である。という意見もありました。これもまた、では「愛とは何か?」ということで、次回以降に続きそうなテーマです。

2013年最後の「もやもや」の夕べは、このような時間となりました・・・。
良い「もやもや持ち越し」、できましたかしら?^^
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みなさん、いい表情。

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ちょっと真面目なことも思うのですが、それはまた西日本新聞さんの記事報告の折に・・・。

 

また、鹿児島に住む私たちにとって、心熱くなるご感想もいただきましたので、こちらに一部掲載させて頂き、今回の報告といたします。
次回は指宿図書館での開催となりますので、ぜひ皆さん楽しみになさっていてくださいね!
・ ・ ・ ・ ・
今回の哲学カフェ、とても楽しい時間を過ごせました。

難しい言葉ではなく、わかりやすい言葉で語る鹿児島の哲学カフェには感銘を受ける次第です。もちろん、このように平易でゆるーく流れる対話というよりも会話に歯痒さを覚える方がいることも分かります。

ですが、私自身、今回を含め3回しか参加していないのですが、自らの発言に関して、哲学カフェという同じ空間にいる2、3人の方が共感してくださるだけで、哲学カフェの存在意義は十分にあるのではないだろうかと思いました。つまりすべての人に、自分の主張を押し通す場ではなく、数人の方が私の主張に心を開いて聞いてくださるだけで、私自身は哲学カフェという場において満足してしまいます。というよりも「救われる」気持ちがします。

ある方が、哲学カフェのメンバーは身近なたとえばかり議論していると、仰っていました。
しかし身近なたとえ以外の議論は、終わりなき日常に生き、何かしらの日常の問題を抱え、何かしらの悶々さのはけ口を求める私達には、意味をなさないのではないだろうかと思います。

もちろんアカデミズムの壇上であれば、身近な例えと同時に、時間も空間も離れた拡張性を伴う議論が必要になることもあります。例えば法制度、民主主義、多民族国家論エトセトラ。ただ、鹿児島哲学カフェで政治体制、法制度、異文化構造など語ることによって、日常に生き、同時に哲学カフェに日常での悶々さの突破口という「救い」を求めている私たちにとってどれほど意義のある対話・会話になるかいささか疑問です。

鹿児島市に来て数ヶ月立ちます。その数ヶ月で感じることは、分かり易く平易で語れる言葉を持つ方がとにかく強くて人情がある。そして、多くの人から愛されている。おそらく、鹿児島という土地が東京などに比べ感覚や感情を重視しているからだと思います。理性的であるよりも、気分、感情、感覚を大切にする土地だと思います。
このように考えても、やはり鹿児島哲学カフェは、理性的であるよりも、自分や相手の感覚や感情を大切にする場であって欲しいと私は思います。

かなり主観的な感想でしたが、今回参加して感じたことです。
今後ともよろしくお願いします。(鯖寿司さまより)



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