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【開催報告】第50回「尊重と対話の芸術 ~異なる意見や信念を持つ他者と対話する中で、尊重の原則をどのように実践するかについて考察する(立案:ChatGPT ver.3.5)~」

第50回「尊重と対話の芸術 ~異なる意見や信念を持つ他者と対話する中で、尊重の原則をどのように実践するかについて考察する(立案:ChatGPT ver.3.5)~」
日時:2024年2月22日(金) 19:30~21:00
会場:タリーズコーヒー鹿児島中町店
参加者:8名(男性3名、女性5名、初参加者1名)

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決めた当事者が言うのもなんですが、2011年の開催以来、個人的にはもっとも、なんじゃこりゃ~!というテーマでした。我々主催者のニンゲン二人では、絶対に生成することはなかった内容なのです。少なくとも当日に至るまで、これはどのような理解、解釈をすればよいのだろうと、いったい何度、思考停止したことでしょう。しかしそれがなんともいえず愉しい。
とはいえ参加者の皆さんはどうなのだろうと考えると一抹の不安はありながらも(笑)、一体どのような展開になるのかワクワクしながら会場を訪れました。

撮影は、いつも素敵な瞬間を残してくださるヒロさん。ありがとうございます

 

OpenAI社が開発した、生成AIのひとつである『ChatGPT』。2022年のリリース以来、ヴァージョンを重ねていますが、今回我々が「対話」したのはver.3.5。これが現時点で、もっとも気楽に無料で使えるものといっていいと思います(現在ver.4までリリースされ無料使用できますがが、少し手間がかかるので)。

決定の経緯はこちらの開催案内をご覧いただくとして、なにに私が驚いたかというと、ひとつのテーマの中に「尊重」「対話」、それに加えて「芸術」が出力されてきたことでした。
専門家でないので詳しくは聞かないで頂きたいのですが、私の認識としては、ChatGPTの認識データはヴァージョンを重ねても変わらず、異なるのは出力の質です。だから「哲学カフェのテーマを考えよ」という指示に対し、「尊重」と「対話」が出てきたことは驚かないのですが、加えて「芸術」というワードを発見した瞬間、思わずひっくり返りそうになったのでした。
※ちなみにこのテーマはver.4では出力されません(当方テスト済)。故におそらく現在限りの現象といえる偶然性がまたたまらないのです

哲学科の授業の中でも、当然ながら美学はかならず通る学問です。だから哲学の中で美学を発見するのは当然なのですが、哲学カフェという活動の中で芸術を発見する可能性があるとは夢にも思っていなかった、と言うとご理解いただけるでしょうか。
ですから、当日の哲学カフェ開始早々、「『尊重と対話の芸術』、これは哲学カフェのことだと思いましたが」と、常連のおふたりからご意見いただいた時にはもう、びっくり。
「尊重」「対話」が「芸術」に結びつく、ことがある。らしいのです。

とはいえ、そもそも「対話」の成り立つ条件とはなんだろうか、と始まったこの日の対話。基礎にあるのはなにか。「尊重」「尊敬」…また「共感」「受容」もあって成り立つのでは?では、尊重とは?尊敬とは?

ある植物のプロは、植物との対話は、まず相手の要求に合わせることから始まるんです、と。温度、湿度、環境…合わせられる限度はあるが、そこで素晴らしい対話がなされると、豊かな植物が育っていく。それを実践している彼が作るハーブティーは「異様に濃く豊かなんです」(参加者談)。うーん、飲みたくなります。
また、ある音楽家は、音楽での対話はプレーヤー同士のセッション。相手の音楽を聴き、自分はどう奏でるか。受けた相手はどう返してくるか。そのひとつひとつに、極上の愉しさがあると、身体体験としての対話をみごとに言語表現してくださいました。




90分の対話、到底書き尽くすことはできないのですが…活発な対話あり、思いを馳せる時間あり、個人的にも楽しませていただきました。
実際のところ「芸術」そのものへの考察までは時間が足りなかったところもあり、これは次回も、今回のテーマを引き継いでも良いのではないか、という気が個人的にはしています。

2011年の4月、27歳の若者ふたりで初めて鹿児島哲学カフェを開催してから13年後、もはやテーマはAIと対話して生み出す時代となったのでしょうか。なんという転回点!とnose氏へ興奮のメッセージを送ったところ、「それはただミーハーなだけではないでしょうかw」と絶妙なツッコミが来ました。もっともです。しかし事実でもあります。
AIについては、仕事を奪われるとか、生産性を高めるから人間が不要になるとか、悲観的なやや煽情的な視点が多いですが、私はそうとばかりは思いません。少なくとも生成AIとの対話から、こんなに豊かなクリエイティビティな時間が生まれたのですから。

きっと、もやもやしながらお帰りになった方も多いことでしょう。そのもやもやが、クリエイティブだなと思いますが、では、それもまた「芸術」といえるのでしょうか?
哲学カフェのささやかな時間が、今を生きる、ほんのわずかでも前向きな力になれば幸いです。

 

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