【1.匿名希望さま】
満足度:かなり満足
発言のしやすさ:しやすかった
自由記載:
この問いに模範回答があると聞いて、非常に感想が書きにくいのですが。(笑)
でも、感想を提出しなかったら、なんか負けたような気になっちゃうので(誰に?何に対して?^^;)
思うところ、つらつら書いてみました。
もし、この問いの「我々」が「私」だったなら、すんなり「Yes」と答えます。
だけど「我々」というのがこの問いを非常に難しく複雑にしているな~と感じました。
自分だけの幸福ではなく、他者をも含めた「我々」の幸福とは何か?
対話の中で「共通善」という言葉が出てきましたが、これを考えることが「我々の幸福」につながるのでは?と思いました。
ところで幸福と言うのはそもそもどういうモノなんでしょうか。
満ち足りてる感。。。というのがすぐに浮かんだのですが、もしそうであるならば、この感情はどこからくるのだろうか。
嬉しい・喜び・楽しい・美しい・安心・健やか・・などから引きおこされるのではないかと思います。
これを無理やりまとめると「善いこと」と言えるのではないか?
この「善いこと」が幸福へつながるのではないか?
その「善いこと=幸福」を、その人が置かれている状況からいかにして汲みとるかは、その人次第のような気がします。
言い換えれば、いかなる状況にあっても(それが例え紛争地帯でも)、その中から「善いこと」を汲みとることができたなら、幸福は我々自身の手で生み出すことができるのかもしれません。
そのためには、その共通の「善いこと」をみんなで作り上げる作業が必要になる。
それが仕組みやルール作りだったり、インフラの整備や紛争の調停だったりするのでしょう。
でもそこで「利害」が出てきちゃうのも「我々」ですよね。そしてその「利」を幸福と感じるのもまた事実。(^^;)
「我々」の幸福を生み出すのは、かなりの大仕事なのかもしれませんね。
こんな解答だと不合格かな。(笑)