【第34回(通常開催) 鹿児島哲学カフェ】
日時:2014年9月19日(金)20:00~21:30
人数:12名(男性6名,女性6名,初参加2名)
場所:Treduno
テーマ:実るほどこうべをたれる稲穂かな?
・ ・ ・ ・ ・
秋ですね・・・。
なんというか、鹿児島哲学カフェは、毎年秋は詩的?感傷的?になるようですね。
テーマが正直。(※去年はこちらです→ ① ② ③)
今回は初めての、Tredunoさんでの開催でした。
こちらのスペースは初めて座ったのですが、なんというか、設計の良さを感じる空間でした。友達のおうちに来たように寛げる、あったかい時間でした。
テーマの曖昧さも相まって、始まる前からみんなのニヤニヤ笑いが止まりません。
「実るほど こうべをたれる 稲穂かな ?」
このハテナがついているのは何でしょう。疑問があるんですか?
そうです、あるんです。本当にそうなんでしょうか。そんなもんなのでしょうか。それって、いいことなんでしょうか。
一般的にすごい人って、謙虚だっていいますけれど・・・
もともとは、「徳を積んでいけば、自然とその重みで垂れてくるものだ」ということですよね。高僧、のイメージ。
いやいや、でもすごい人でも全然謙虚じゃない人いますよ!
天才みたいな人を何人か知っていますが、才能がありすぎるから、謙虚になる必要ないんですもん。
しかし、謙虚ってどういうことなんですかね?
ポーズ?心?
「一歩ひくことで相手をたてる」。経験を積んできたからこそ、他者をうやまう、おそれる、頭を下げる・・・ことが自然にできる。
そういえば、頭を下げるのは、日本ならではの所作ですよね。風習として頭を下げない国って、けっこうありますものね。下げることが「なにを意味しているか」ということですよね。三顧の礼・・・これも「みずからおもむく」ことが「頭を下げる」ことと同義でもある。
私は教師を長年やってきましたが、挨拶って、年長者がすべきだと思っているんです。頭を下げる、そして上げる。それが相手を「引き寄せる」ことになる。そこからはじまるものじゃないかって。
自然と頭を下げたくなる・・・というのもポイントなのかと。
私は、美しい風景の前では。このような美しさを生み出したものへの感動がともなって、自然と頭を下げたくなるような思いになるんですよね。
こんな感じで、進んでいきました。あくまで、一部抜粋です。
問うことではじめて見えてくるものがあり、思いがけない答えに自分の問いが刷新されることがあり、その瞬間が哲学カフェの面白さなんだと思います。私もそうですが、ものを考えがちな人ほど、自分の答えに意外とこだわっていることが多いものです。哲学カフェに参加すると自分自身それがよくわかります。無意識のうちになんですよね。でもとことんものを考えられるって、とても素敵なことだと思います。だからこうして、ほかの方の意見に耳を傾けて、それって本当にそうなんだろうかと考えたり、言葉にしたり、相手からの答えやそこからひろがる言葉に思わずドキドキしたりワクワクもしたり。問いが変わるから、そこからまた考えもかわる。その考えは一人では生まれえない豊かなものである。
私がいま働いている鹿屋でも、哲学カフェ開催のお声がけをいただくことが増えてきました。他者は、その歴史も思いも肌合いもそれぞれすこしずつ異なるけれど、似たところもあるから、そこにであうと嬉しくなり楽しくなる。風土もしかりかと。あたたかく時に熱く幸せな時間が人を心をつないでくれるなら、参加者のみなさんやお店さんやいろんな方のご協力や思いをいただいて、それがいい時間になるのなら。鹿屋でもなにかいい空気がひろがるといいなと思います。
会場のTredunoさん、吉永さんはじめスタッフのみなさま、ありがとうございました。