お知らせ(ブログ) 開催報告

【開催報告・感想】道 その1

こんばんは。noseです。ということで、遅くなって申し訳ありませんが参加者の皆さまの感想を持って報告に代えさせていただきます。

【第22回鹿児島哲学カフェ】

日時:4月26日(金) 19:30~21:30
人数:12名(男性6名,女性6名,初参加4名)
場所:コワーキングスペース301
テーマ:道

【感想1 匿名希望さま】

満足度:かなり満足

発言のしやすさ:しやすかった

自由記載:
今回のテーマ、自分の中ではかなり難しかったです。
考えがうまくまとまらず、筆(キーボードですが^^;)も思うように進みませんでした。

道からイメージするのは、すごく単純ですが「目的地までの道のり」でした。
それは物理的なものでもあるし、精神的なものでもあるし。

「~道(どう)」はやはり精神的なものが強いのかな、と思いました。
自分自身、「~道(どう)」というものを学校の授業くらいでしか経験したことがなかったので、
道(どう)の意味というか、それが目指すものが何なのかというのをもっと詳しく聞いてみたかったです。
たとえば、目指すところのものは、全ての人にとって同じなのだろうかとか、脱落したらどうなるんだろう、とか。
あるいはその到達点(と思われるもの)には実は誰もたどり着けないということもあるのかな?とか。

そしてこれは東洋的な思考のようですが、西洋にもこういう考え方があるのか気になりました。
そういえば、柔道もJYUDOとは違う、と聞いたことがありますが、これも東洋と西洋の違いなのでしょうか。
そのあたりも深く知りたいですね。

それから終わりのほうで、寄り道や回り道も良いのでは?と出て、
それに対して道は常に一本で、回り道と思っても、それを選択している時点で必然であるというような意見も出ましたが
これは多分、寄り道・回り道というのは進む道の可能性の数、つまり自分の先(未来)には選択肢がたくさんあるということを意味しているのではないのかな、と。
一方、後ろ(過去)には、自分がたどってきた道が一本あるだけですよね。
そこから考えると、自分の「今」いる場所は分岐点なのかな、と。
つまり人は常に分岐点にいて、常に何かしらの選択をしている(あるいは、せざるをえない)状況にあると言えるのでは。
そう思うと、生きていくことはなんだかたいへんだなぁと思ってしまいます。(笑)

あと、カフェの後に思いついたのですが、「人の道」という言い方をしますよね。
よく、人の道をはずれた・・・などと。犯罪をした場合に使うことが多いようですが、そもそも人の道って何だろうと。
これは「善」とつながるのかなとも思いますが、そうなると「善」とは何かという問いが出てきて、また思考の深みにはまってしまいます。(笑)

ちょっと今回は(いつも?^^;)うまくまとまらなかったのですが、あえてそのまま投稿します。
この哲学カフェのテーマ、毎回違うんですが、実は奥深くではつながっているような気がしてなりません。
そこが哲学の本質なのかもしれませんね。

-お知らせ(ブログ), 開催報告