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【感想】恥ずかしいのはいけないこと? その3

【3.匿名希望さま】
満足度:かなり満足

発言のしやすさ:しやすかった

希望テーマ:空気を読むのって大事なことですか?
空気って、なんぞや。(笑)

自由記載:
いつもより少ない人数で参加者さんとの距離も近く、
逆に緊張してしまいましたが(笑)みなさんのお話をじっくり伺うことができて楽しかったです。
皆さんの恥ずかしい(?)体験談を聞いて思ったのが、恥ずかしさのポイントというのは人それぞれかもしれませんが、恥ずかしいと思う気持ちは誰もがもってるものなのだなぁと思いました。

ではその恥ずかしいという気持ちは本能的なものなのか、経験によるものなのか、あるいはその両方なのか。
対話の中で自意識という言葉が出てきましたが、これと密接に関わっているのだろうか?じゃぁその自意識はなぜ生まれるのだろう?という疑問が出てきて、恥ずかしいという気持ちの本質とあわせて考えてみたいな、と思いました。

個人的に一番興味深かったのは、「恥ずかしい」と「恥じらい」と二つの「恥」が出てきたことです。
「恥じらい」を辞書で調べたら「恥ずかしがること」と、なんとも素っ気ない記述だったんですが(笑)、普段使うときには、「恥ずかしい」とはニュアンスが微妙に違いますよね。
「恥じらい」の方には「照れ」とか「奥ゆかしさ」みたいなものが感じられるのですが、「恥ずかしい」になると、後ろめたさのようなものが含まれるのかな、と。
でもその後ろめたさのようなものがあることによって、自分を律することができるとするならば、「恥ずかしいのはいけないこと」ではないと思いました。

それからもう一つ気になったのは、いじめや犯罪の被害者が感じる恥ずかしいという気持ちです。
何の落ち度もない被害者がなぜ恥ずかしい思いをしなければならないのか。
難しい問題ですが、もしも被害者に恥かしいことではないと思わせることができたら(周囲が恥ずかしいという思いをさせないようにできたなら)、被害者を追い詰めるようなことにはならないのでは?と感じました。もちろん、そんなに簡単なことではないとは思うのですが。。。

今回も非常に深く考えさせられました。
最初にこのテーマを見た時は、恥かしい失敗談のような、笑えるライトな感じになるのかなと思っていたのですが、このような難しい問題にも通じるのだなと、改めて哲学カフェの奥深さに驚いています。
ありがとうございました。

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