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【開催報告】便利ということ

みなさま、こんにちは。sameshimaです。

【開催案内】鹿児島哲学カフェ in 「島の食卓」展でご案内しましたように、鹿児島哲学カフェは、マルヤガーデンズにて1週間にわたって開催されました企画展「『島の食卓』展」にて、10月19日、哲学カフェを開催させていただきました。

【鹿児島哲学カフェ in 島の食卓展】

日時:10月19日(金) 19:00~20:30
場所:マルヤガーデンズ SINKENSTYLE Kitchen
(鹿児島県鹿児島市呉服町6-5)
テーマ:便利ということ
参加者数:13人(男女比6:7)

身を乗り出してのアツい対話・・・

「えーと、それじゃ・・・」

語る人あり、唸る人あり・・・

いつもながら、そんな感じで進んでいきました。

実は今回オファーをくださった、「『島の食卓』展」コーディネーター的立場であったTen-Labの永山さん、noseさん、sameshimaは同じ1983年生まれの同級生でもあります。
初めて出会った2年ほど前は、まだTen-Labも、鹿児島哲学カフェも立ち上がっていない頃。3人がこんな形でコラボレートするようなことがあるとは思ってもみなかっただけに、感慨深いものがありました。

ユニークな形状の県土、沢山の離島。
鹿児島の暮らしを考える上で、「便利」とはどういうことだろう・・・と漠然と考えることは、大隅半島出身である私自身よくありました。

「『島の食卓』展・・・じゃ、テーマは「便利」だね」

テーマ自体はあっさりと決まったのですが、そもそも、発達したテクノロジーがそれなりに暮らしのベースとなっている私たちにとって、「『便利』を考えることがそもそもどの程度可能なのだろう?」という気持ちで、個人的にはスタートしたのでした。

「不便とは不幸なのか?」
まずはこのテーマで対話が始まりました。

人類が「道具」を使用して以来、人類の歴史には「便利」の追求という一つの目的が存在します。産業革命以来、そのペースは加速しましたし、またコンピュータの発明以来は激化したといっても過言ではないでしょう。
第二次世界大戦以後、アイデンティティの喪失を経験した日本人が、世界と肩を並べていくために先鋭化させた「技術」という方法。「便利である」という結果が強く賛美されるようになった時代、その「技術」は日本国内だけでなく、世界中に広まっていきました。それによって生まれたよい結果も沢山あるでしょう。しかし今、その数々の「便利」さを生み出してきた当の日本は、はからずも精神疾患や自殺者の増加など、「便利である」ことと生身の身体との齟齬に、おそらくもっとも苦しんでいる国のひとつ。
日本において「便利」を考えることは、相当に深いことでもあると、改めて思います。

さてさて、話を戻しますと・・・
「不便とは不幸なのか?」という問いは「幸福とはどういう状態か?」を孕んでいることもあり、様々な解が出てきました。その解から生まれてきたのが、次の問い「なぜわたしたちは不便さを求めるのか?」でした。

・シェアハウスの流行
・マニュアル的でない、接客業におけるコミュニケーション
⇒繋がりへの欲求
・不便さの中にある愉しさ
・自分の手でなにかを創造したい
⇒身体性を「感じ」たい、達成感を得たい

そしてここで出てきた、皆さんの首がこくこくと揺れた(笑)あるご意見。

・昔は(今と比較して)便利ではなかった。だけど、たとえば何かをしようとする時など、情報を発信する発し手側に、最後まで責任を持ってくれる人がいた。今はSNSなどで告知も簡単になった、情報の発信も簡単になった、でもその後の後始末のことまで考えているだろうか。する人がいるだろうか。

「責任」。これはソーシャライズされゆく世界において「便利」を考えるとき、「情報」をあらためて考えるとき、重要な概念ですよね。
今、ある程度、「やろうと思ったことはやれてしまう」時代になってきたと思います。考えていることが実現する可能性が高くなってきた、と言えるかもしれません。その土台にあるのは技術の発展だったり、それによる意識の変容だったり、絡みあう幾つかの要因があるでしょうが、だからこそそこにおける「責任」を考え直す必要もまた、あるように感じます。

そして後半は、ちょっと気分を変えて「あなたが便利だと思うこととは?」。
上記の板書写真に、みなさんのご意見を掲載させていただいているので、まずはそちらをご覧いただくとして・・・少し注記をつけさせていただきます。

・島での生活は不便で嫌だった
⇒これは離島出身者の参加者さんのご意見です。それが故に、一度は都会へ出た、と・・・しかしすぐに戻ってきたとも仰います。
これは私自身、大隅半島という「陸の孤島」と冗談にされる地域の出であることもあって、わかるような気がします。現在、私の住んでいる市町村は高齢化率のきわめて高い土地。今はもう書店もありません(そのかわり図書館が充実しています!)。中心部にはカフェもファーストフードもありません。若い人は少ないです。でも、人はあたたかいです。日々「やったりとったり(贈答)」が当然のように行われます。食べ物も最高です。温泉もいたるところにあります。景色もすばらしいです。日々、体の内側から「豊かだなぁ・・・」という気持ちが沸いてきます。
鹿児島は一度離れてもまた戻ってくる人が多い土地。それは「不便」を上回るなにかが在るからではないでしょうか。

・手紙が好きだ
・マニュアルのカメラが好きだ
⇒これは現代においては「選択」することができるという自由もあります。メールより手紙、全自動よりマニュアル・・・その選択肢の幅は、現代社会の包容力という美点でもあるかもしれません。

・便利さも、度が過ぎると疲れる
・便利とは、時間の凝縮だから
⇒「頃合い」の学習、依存と自律・・・そんなことも思わされますね。

そしてここで金言が・・・

・現代の一番の富は、時間を持っていること

(これはやっぱり太字ですね)

哲学カフェの時間の中では、すべての意見が、発言者の方の豊かな歴史に裏打ちされたものなので、ひとつひとつに頷ける濃密な時間でもあるのですが、こうして少し時間が経ってから振り返ってみると、回によっては名文句が発生していることがあります(笑)
noseさんが、始まる前にいつも「ワタシ、まとめたりとかしませんので」とおことわりしている通り(笑)、レポートを書いている私も決してまとめようと思ってはいないのですが、カフェの言葉の動線を追っていくと、面白いことにある程度文脈が浮き上がってくることに驚かされます。

 

個人的には今回、昔読んだこんな文章を思い出した回でもありました。

「私の個人的体験にすぎないかもしれないが、自分との対話をじっくりと重ねながら学び味わったものは、いわば<体得>されたものとして、私に染みついているが、早分かり方式で仕入れた情報は、私になんの痕跡も残さず、あっという間に消え去ってしまう。
三日で覚えた情報は、三日で消え去ってしまうのである。情報の速度こそが絶対の価値となっている現代においては、<私>は成熟していく存在であるよりは、瞬間的な反応マシン、つまり、情報が入り込んでは流れ出ていく一結節点にすぎない存在になっていくように感じられる。
ハイデガーは時間の本質を<時熟>、つまり、今の継起としてではなく、時間性の成熟と捉えた(『存在と時間』)。逡巡すること、反省すること、あるいは、熟考、熟練などは、情報のインプットに対して、きわめて膨大で無駄に思われるタイムラグののちに初めてアウトプットが生じるたぐいの営みである。これらは瞬間的で切れ切れの今の積み重ねではなく、むしろ時間の成熟によるものだ。
時間がかかる、時間の遅延があることを、すべて<タイムラグ>として否定的にとらえたり、スピーディーであることが、私たちの<豊かさ>を保証すると考えるならば、それは根本的な錯誤であるように思われる。無駄な時間を省いて、残った時間で豊かな生活を、と喧伝されながら、その残った時間もすべて、無駄な時間を省くという心性に汚染され、時熟を味わえないからだ。結局、私たちの生活は、テンポ全体が単にあわただしく加速しているだけなのである。
<私>が、便利さや速度の眩惑には徹底的に弱い存在であること、しかし、それにもかかわらず、それに身を委ねることは、<私>を徹底的にやせ細った刹那的存在にしてしまうこと。このことへの自覚は、今日においては決定的に重要であろう。
現代の情報、消費、社会システム全体が、便利さと速さを<豊かさ>と称して邁進せざるを得ない以上、<私>は常に情報反応マシン、消費マシンに変形されつつある存在である。だとすれば、時熟や成熟の契機は、外から与えられることを求めるのではなく、<私>自身の内側に自覚的に求めていくほかはないのかもしれない。」

(黒崎政男『デジタルを哲学する』 PHP新書 2002年)

約10年前の書籍で、当時、現代国語の教科書や大学入試などでも使用されていたものです。個人的には、私が哲学科へ進学するきっかけとなった文章でもありました。

「便利」を考えることは「時間」を考えることでもあり、「時代」を、「世界」を、自分自身の「生」を考えることにも繋がるのではないでしょうか。
感覚的に、「便利」とはどこかしら脆弱なものである気がしていましたが、今回の「鹿児島哲学カフェ in 『島の食卓』展」は、そのダイナミズムと温度を今一度実感・共有する刺激的な時間ともなりました。

SHINKENSTYLE Kitchenのみなさま、ありがとうございました!

 

と、いうことで・・・
「最近sameshimaが喋らない」という声をいただきましたので、ここぞとばかりに書いてみました。喋りだすとこうなりそうなので訓練しているわけです。・・・でも、たぶんみなさん一緒ですよね?(笑)

 

改めまして、「島の食卓」展 関係各位のみなさま、お疲れ様でした。
ガーデンズシネマさんとのコラボ企画、映画『eatrip』の上映も、満喫させていただきました。生命力にあふれた、すこやかで素敵な作品でしたので、ご興味ある方は是非ご覧になってみてください。

良い機会をいただきましたことに、心から感謝いたします。ありがとうございました!

 



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