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【開催報告・感想】人はなぜ美術館へ行くのか その3

こんばんは。noseです。今回も感想をお送りします。

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【感想3 匿名希望さま】

満足度:かなり満足

発言のしやすさ:普通

希望テーマ:
・境界を引くことは、囲い込みとどう違うか
家庭、地域、国境・・・
カテゴライズできないものさえ、何かしら名前をつけて区分けすることで得られる安心

・良心とは何か
自分自身を偽らず、正しいと思ったことを
行うこと
しかし、良心によるものと判断するのは周り の人。

・愛の反対は、無関心か? 憎悪か?

きっかけ:HP

参加した理由:様々な価値観を知りたいと思ったから

自由記載:
初回の参加でしたので、発言する際、「自分の意見を簡潔に」 伝えるのがむずかしかったです。
哲学カフェの存在は、おしゃれな都会にあるんだろうなと思ってましたが、
鹿児島で開催されてることを知り、さっそく参加してみました。

「人はなぜ美術館に行くのか」
みんな真剣に熱く語っていて、ふだん使わない脳や体の細胞が活性化したような感覚でした。

特に、都心部はアートにまつわる展示・企画が多く、個人的によく行っていました。
美術館というハコも、美術館に足を運ぶ人の
ハイヒールや革靴の音も、警備員や学芸員さんから見張られてる、ある種の緊張感が漂っていて、それら含めて美術館は好きです。
浮世離れしたギリシャ彫刻の体の曲線や、マティスの絵画を前にすると、体がふわっと軽くなり、時空を越えた対話を、作品と一対一でひそかにしてるような気がします。それが、私が美術館に行く理由です。

五感で最初に受ける作品の印象も、
のちに知識として知った、芸術家や作品の背景も、
慌しい日常とは、距離をおいて、「わざわざ」余暇に「見に行こう」 とすることに、おそらく大いなる(?)価値が生じるのかもしれないと思いました。
遊びや、笑いという活動と同様、知りたいという物見遊山的好奇心も、きっと人間ならではの醍醐味。
哲学カフェに集うという行動そのものが、好奇心の強さを象徴するように。

絵画やアートに興味のない人でも、
「こんなへんてこな作品作る人って、世の中には、こんな変った人も生きてたんだ」と、何かしら発見があるという点で、気づきはあると思います。

アートの語源や、みなさんの芸術・美術に対する考え方、ビジネスと美術との関連性、歴史上における創作の起源、はたまたAKBの芸術商品的価値とは・・・
など、予測不可能な方向に話が展開していって とてもおもしろかったです。

今回、哲学カフェという場を借りて、ふだん疑問に思ってたことを発言することで、
自分の価値観のきっかけとなる出来事や、
気持ちのベクトルを改めて認識できました。
とても、有意義で愉しいひとときを過ごせてよかったです。ありがとうございます~ ♪

また、みなさんとお話したいです☆^^☆

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以下、nose。今回のテーマ、申し込みを頂いた際に添えられていまして、そこに書かれていた

絵に描かれたりんごに、
りんごそれ自体より価値を置く人間の不思議。 空腹のつよい状態なら、誰もが本物のりんごを欲しがる。
わざわざ、絵に描かれた偽物に会いに行く
人間の不思議。

という言葉に、惹きつけられました。(もちろん、その時はこのテーマになることは決まってませんでしたが)

これは本当に不思議なことで、生きていくこと自体になんら影響も与えない絵画をなぜ人は見に行こうと思うのか。それは演劇にも、オーケストラにも言えることで、「娯楽でしょう」という意見もありましたが、では娯楽とは何なのか。なぜ娯楽を求めるのか。娯楽は生きていく上で必要なのか。娯楽が生まれる、成り立つ条件とは何なのか。

疑問は尽きません。

そういえば、前回のカフェの中で「美術館で哲学カフェをやったら」ってアイデアが出ましたね。是非やりたいものです。ひと通り、展示をご覧いただいた上で、もしくは実際の絵画や石像を前に「美とは何か」「本物とは何か」とかいいですね。どこか、できるような美術館ご存知の方がいらっしゃいましたら是非教えて下さいませ。

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