【開催報告】ともとは何か?
第1回鹿児島哲学カフェ
日時:2011年4月24日(日)
会場:コミスタカフェ( 鹿児島市東千石町14-2 市電・天文館電停徒歩20秒)
テーマ:ともとはなにか?
参加者数:21名
進行:堀江剛さま
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第1回にも関わらず多くの方にご参加いただきました。
初めての方が多かったのでルールを説明した後、簡単な自己紹介を行い議論に入りました。
今回のルール
ほとんどの方が初哲学カフェだったにも関わらず議論は盛り上がり、2時間という時間があっという間に過ぎました。
こちらが議論の成果。
皆さん、まだまだ話足りなかったのではないでしょうか。この記事のコメントやFacebookにてご意見・ご感想、また帰られてから考えたこと等どしどし書きこんでいただければと思います。
ご参加いただきました皆様、本当にありがとうございました!!
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コメント
はじめまして、ふぁんふぁんと申します。私の知人の方がこちらのwepページを紹介されていたので、鹿児島哲学カフェを知りました。今は鹿児島を離れておりますが、ぜひ参加してみたいと思っております。ちなみに私は哲学とは無縁のガチガチの理系です。
さて、今回のルールの中に、疑問に思ったことは率直に聞きましょうとありましたので、質問させてください。私は議論の成果の部分しか知ることができず、議論の一端しかわかりませんので、ご了承下さい。
ともとは何か?の議論の成果の中に「ともとは自分がともと思い…」というものがありますが、ともという言葉を定義すべきはずなのに、その定義する文章中にともという言葉を使っていますが、これは定義されたと言えるのでしょうか。ただ、私自身、実に哲学っぽい答えだとは思います。
あと今回の議論の成果を見ながら思ったこととして、これは血縁の有無両方を含めた場合での親子という関係を指した上で「おやことはなにか。」というテーマでも同じ議論の成果が導かれたのではないかと思います。(最後の部分は、自分が親と思い、自分を子と思ってくれると思える人のことになります)つまり、定義の部分が同じになるので、親子=友ということになると思います。そう考えるとあながち友達親子http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8B%E9%81%94%E8%A6%AA%E5%AD%90という言葉は間違っていないのではないかとも思います。
長々となってしまいましたが、何かしら意見を頂けると幸いです。おもしろそうだと思いますので、今後も拝見させて頂きたいと思っております。失礼します。
ふぁんふぁん様
初めまして。鹿児島哲学カフェのshihoと申します。コメントありがとうございます。ご友人のご紹介で興味をお持ちいただいたとの事、誠に嬉しく思っております。
ご質問いただきました内容ですが、実は当日、ふぁんふぁん様と同じく理系の参加者様から同様のご質問を頂きました。せっかくですので、ファシリテーターを務めていただきました広島大学大学院の堀江教授のお言葉を拝借しながらご説明いたします。
こういった解は哲学にはままあるものですが、もっとも有名なのはデカルトの”Cogito,ergo sum”。翻訳すると「我思う、故に我あり」という言葉です。これも同じく「我」の定義はそのまま解の内に留保されています。今回の「ともとは、(自分が)ともと思う・思いたい場所に居る人」も同じ構造といえるでしょう。「とも」の定義は、個人的には人の数だけあると思いますし、そしてその覚える違和感こそが、自分なりの定義をするためにもっとも重要な部分だと、第一回の議論の中でも感じたところです。
また、「おやことはなにか。」というテーマでも同じ議論の成果になるという可能性。これもふぁんふぁん様の仰る通り充分にあり得ますし、逆にその点が素敵な部分でもあるのではないでしょうか。哲学カフェの「定義や解を出さなければいけないわけではない」という特質から、その日の参加者様の温度、議論の流れによって、例えば次回に同じテーマで同じ参加者様で問うたとしても、全く違う話になる可能性もあります。この点が哲学カフェの面白味ではないかとも考えております。友達親子というテーマも面白いですね。様々なご意見を拝聴できますこと、そのご意見の相互の尊重も哲学カフェの何よりの楽しさだと、参加者の一人として感じております。
機会がございましたら、ぜひ一度ご参加いただければ幸いです。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
shiho様
御回答ありがとうございます。
数学の定義や解というのは、その表現方法は違えど、意味する部分は同じになることが多いですが、shiho様の回答文中には「自分なりの定義をするために」とあり、この部分が哲学ってことなのかなと勝手ながらに理解したところです。自分なりの定義をするためには、様々な意見を聞き、その意見を相互に尊重していく事も大事なことなのですね。
「おやことはなにか。」についてですが、実は前回、文章を投稿してから、すぐに気づいたのですが、ともという関係は、もう無理だと思ったら、ある程度は簡単に縁を切ることができると思いますが、おやこという関係は、そう簡単には縁を切ることができない関係だと思います。私がこのことに気づかなかったのは、あまり深く考えていなかったからですが、ぱっと思いついた親子の関係である私と私の両親の関係がうまくいっているからというのもあると思います。普段あまり考えることのない、私と両親との関係ですが、今回の鹿児島哲学カフェのテーマを通して、自分の両親のことも考えましたし、改めて両親とうまくいっている関係を幸せだと感じることができました。
今後もよろしくお願い致します。
[…] 第1回鹿児島哲学カフェの議論についてはコチラを参照⇒ http://www.cafephilokagoshima.net/?p=135 […]